おっちゃんの体験的
   *PART−3
70年代最後か80年頃。記憶だけで記しているので間違えているかもしれない。
O誌のゼロヨン&最高速GPに、初めていったときの写真。富士スピードウェイ。
一番手前のGT750がチャレンジマシン。中身はノーマル、外せる物をただ外しただけの一見スクラップのようなバイクだった。こんなものを良く走らせてくれたもんだ。そういえば車検なんて無かった。大らかと言えば言えるが。
82〜3年頃。空前のロードレースブーム。『汚れた英雄』の数年後。
その頃、店に出入りしていた若い連中が筑波サーキットに通い始め、自分達の乗っているバイクで出られるレースが出来るらしいと、ならば出てみようと言うことになった。当時、彼らのバイクは、Z400FX、XJ400、RZ250、CBX400等。出られるレースとはNP2であった。
写真は、第1回筑波3時間耐久の時のもの。マシンはRG250γ。手前中央が私。ロードはピットクルー専門だった。
このレース、予選はなんと2位!1位はこの年の鈴鹿4耐の優勝チームだった。
決勝は残念ながら、転倒リタイヤ。
84年だったと思う。数年前から盛り上がっていた、バトルオブツインに出ようと言うことになって(ライダーは若い子ね)、なら、SRが手頃であろうと中古を探していた。
いろいろ声を掛けていたところ、ある人(某大手バイク店店長)から安いのが有ると連絡が入り、見に行ったらなんと、数年前に手放したあのSRだった!何と言う偶然、何と言う奇遇か。ナンバーがそのままだったので余計レーサーにするのは忍びなく、自分で買取、車検を取ってしまった。
バトルオブツイン用のSRは、別にもう一台探すことになった。
85〜6年は、ロードレースのお手伝いばかり。自分も走りたいと思い出した頃、エンデューロと言う聞きなれないレースが徐々に盛り上がりを見せてきた。
オフロードの耐久レース?面白そうじゃないか。出てみよう。と言うことで、初めて出たのが、もとすハイランド(だったかな?) 。写真は2度目に出た羽鳥サバイバルエンデューロ、キックスタートの瞬間。DT200が私。隣の112番が社長。
このレース、1周目(半周?)でチェーンが外れ、クランクケースが割れてリタイヤ。
トホホな結果でした。
87年。お客さんを巻き込み(?)エンデューロブームの始まり。
XR250を新車で手にいれた。今でこそレーサーは新車に限るなどと言っているが、当時はどうせドロドロにしちゃうんだから中古で充分と思っていた。
それが新車。気合が入っていたんだなぁ。
ところがこのXR。新車を下ろした慣らしの日、最後に転んでアバラを骨折。治ってから、仕方なく(?)しばらく乗っていたが、何となく相性が悪いような気がして、たいして乗らずに売ってしまった。
写真は、唯一出た成田エアポートパーク(だったっけ?)のカワサキ主催のエンデューロで。
雪が積もっている!
88年。XRを売るとすぐ、’88KDX200を買った。最後の空冷KDX。
このKDX、乗った瞬間から面白いと思った。
特にエンジン、極低速のピックアップの良さ。アクセル操作だけでフロントがポンポン持ち上がる。とても気に入って毎週練習、毎月エンデューロに出かけていた。
この頃、まだ羽鳥も有ったし、成田(今のじゃない)も有った。
朝4時起きで出かけ、羽鳥のエンデューロを走り、帰って来てから打ち上げと称して夜中まで飲み明かす。みんな若かったなぁ。
写真は、羽鳥。腰が引けてる。
それにしても、マシンはずいぶん変ったがウエアーが変っていないのはなぜ?
87〜88年頃は、ほとんど毎月何処かのレースに出ていた。
コースも、羽鳥、成田、飯倉、富士見ランド、茂原とバラエティーに富んでいた。でもこれらのコース、今は全部なくなってしまった。
当時走っていたコースで残っているのは桶川だけ。大変さみしいことである。
この写真は相模川の河原で行われていた、サガミ・ダ・カーラというエンデューロ。
あの矢島金次郎さん(若い人は知らないだろうな)が主催していたレースだった。
このコース、何と堤防の上を走る所が有って、当然コンクリートの上だからそこを走る時の音はロードレースのようなエンジン音がしていた。
’88KX80ラージホイール。
今ではラージホイールが当たりまえのようになっているが、この頃は輸出用で国内販売はされていなかった。
それを、今のカワサキモータースジャパン社長、当時常務(だったかな?違ってたら失礼)に、国内にも売るように進言し、限定ながら販売したのがこれだった。
その後各社ラージホイールを国内販売始めたが、日本初はこれだったんだよ。
これにKX100(これも輸出用)のエンジンを乗せたマシンは早かった。
125と250(220位?)の違いが有った。これも日本初のはず。
89年。KDXが水冷になる。スタイルもカッコいい。すぐ買い換えた。もちろん(?)レーサーの方。
乗ってみるとさすが最新型、すべてに勝っている。特にコーナーリングのスムーズさは、空冷KDXと比べると別次元。空冷KDXで気に入っていたピックアップのよさも、コーナーリングでは邪魔だったと思ってしまったのだから、勝手なものである。
この頃から、周りの人たちはモトクロスの方に移行しつつあったが、その流れに乗りそこなった私は、『スプリントはどうもなぁ』などと煮えきらず、エンデューロも(みんなが行かなくなったから)あまり出なくなっていった。
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