☆U・ボリーの奮戦記!《番外編》「ボリーと愉快な仲間たち」はこちらから
  《2001年度》
★MCFAJのジュニアクラスを戦うRCボンバー内堀選手。うちボリーのレース参戦記。★
(ここでは、ボリーからのレースレポートを原文のまま掲載します。ただし、誤字脱字(笑)は訂正、改行をしています。)
2001年11月04日(MCFAJ第12戦MX408)
MCFAJも最終戦、一年間ご愛読(?)有難うございました(訳者より)
 
 今回は(も、です)MC(MCFAJ)の最終戦に出場しました。
場所はウエストウッドのMX408でクラスはJ(ジュニア)125です。

今回はレース前に風邪をひいてしまい、前日行くかどうしようか?と悩んだのですが(そんなに具合悪そうだった?)とりあえず行ってみる事にしました。
レース当日の朝目覚めるとあら不思議、体のだるさが消えているじゃあ〜りませんか。元気バリバリで会場に向かいました。

会場に着いた私は支度をし練習走行に挑みました。かなりマディーな状態にコースはなっていて、練習走行2周目、前を走っていたライダーが上り坂で転倒!続いて私も転倒してしまいました。何とかその坂を脱出!これ以上走っても決勝はドライになりそうだし(実際そうなりました)、バイクは痛むしという言い訳のもと(誰に言い訳してるの)、練習走行を終えました。
その後の後片付けはかなり大変でした。

そして決勝!グリッドの抽選はなんとビリ!悲し〜、またかよ・・(泣)

グリッドに並びスタート!最近スタートの決まらない私はまた(また)左右のライダーに行かれてしまいました。しかし、(1)コーナーのアウト側からイン側に切れ込んだらラッキー!10番手くらいに付けました。
風邪のせいか(よく)覚えていないのですが(え?)見ていた人の話ではその後少し追い上げたらしいです。その後なんと前を走っていた2台が目の前でクラッシュ!突っ込んでしまいました。ガックシ・・・。
その後レースに復帰、とにかく楽しく走りました(?)(が)、13位という結果に終わりました。

今シーズンを振り返って見ると怪我に泣かされた事も有りましたが(モトクロスじゃなくスクーターでの事故です)レースを今までで一番楽しめたシーズンだったと思います。(それは良かった)
結果はボチボチですけど。あと、まだまだ遅いかな?

来年も、レースを楽しくやりたいと思います。(それが一番!)手助けしていただいた皆さん、これからもよろしくお願いします。(こちらこそ!)
(カッコ)内訳者注

(U・ボリーの奮戦記 特別(?)付録)
★ベテランノービス「なっきー」のホンニャラ顛末記(MCFAJ第11戦富士スピードウェイ)★
 朝です。サーキットゲート前に並んでなんかレース前のいい感じです。
ゲートオープン、ハイエースのアクセルベタ踏みで横にいたターボ車の前に割り込めたので「今日はいけるかも?」と根拠のない自信を持ちました。

予選スタート、表に戻ってきた時は大体9位(ここまでが予選通過)、ポジションを落とさないように注意しながら攻めようと・・・
しかし、練習走行と違いガタガタ路面じゃあ〜りませんか?気を取り直して攻めるとフロント跳ねる、リヤ跳ねる。
後ろから2台バトリながら追い上げてきた。2台はなんだか必死な感じで危ないので譲りました。やれやれとコーナー2つくらい回ると黄旗です。やっぱりさっきの2台が絡んで転んでました。「やれやれ、またこの2台が追っかけてくるのか、逃げなくっちゃ」と走って走ってあと1周か、ナゲーなぁ・・・
で、チェッカー受けて予選終了・・・はー終わりです。15位でした。

ラストチャンスは案の定(?)スタート大失敗でアーアで終わり。18位でした。

さー、ノービス125決勝のアナウンスしてます。関係ないです。寝ます。

さあ、本番!プレノービスのスタートです。(一応ご説明しておきますが、プレノービスとはノービスライダーでポイントを取っていない人たちの為のレースです)
スタートは負ける気がしませんでした。いいスタート、だが1コーナーで負けてました。
上り坂のギャップでアクセルを緩めたらバイク止まりました。右隣のYZ250Fさんごめんなさい・・・エンストしちゃった?左隣の方、押しちゃったので転んだのでしょうか?すいません。
渋滞作ったのは私です。プレノービスらしい行いです。
しばらくするとYZ250Fさんが追い上げて来たのでお詫びに譲ってあげました。
でっかい4ストも来たので危ないので譲りました。GOODライダーです(?)。
10分走ったら乗り方分かってきたのでデコボコが少し楽しくなりました。そしてゴール!18位くらいかな?

面白い一日でした。スタート3回出来たし、10分走れたし、天気がよく、ケガ無く、OKです。
さあまた頑張りましょう!明日があるさ(?)ですが筋肉痛で体が痛い・・・。終わり。

2001年10月14日(MCFAJ第11戦富士スピードウェイ)
(ちょっとくやしいレースではあったけど、やっぱり嬉しいボリーなのでした)
 
今回は(も)MC(MCFAJ)の第11戦に出場しました。場所は富士スピードウェイでクラスはJ125です。

前回の第10戦はダンス大会(!)出場のためお休みさせていただきました。

今回のレースはスポーツジムで遊びすぎてしまい少し疲れを引きづったままレース当日を迎えてしまいました。やりすぎは良くないと思いつつその時の気分で行動するのが好きな私はジムに行きまくってしまいました。(やれやれ)

まず会場に着いた私はバイクを降ろし車検を済ませ練習走行の準備に取り掛かりました。そして練習走行!
かなり色んな人(どんな人たちなんだ?)に抜かれ走り終わった私は正直「今日のオレ、いけてないなぁ・・」と思ったのですが、「まあ、別にいいや!」とあんまり気にしませんでした。(立ち直りが早い!)

そして決勝!
グリッド決めのくじを引いた私が目にした番号はなんと30人中の30番!(笑)かなりがっかりしました。
そしてゲートに並ぶと隣のライダーはかなり早そうではありませんか(何で分かるの?)。「ぜってー負けねー!」と思った私はスタートでアクセルを開けすぎ(アララ)ホイルスピンしてしまいスタート大失敗!
しかし上手い事1コーナーのイン側をすり抜け9位くらいのポジションに付くことが出来ましたが、その後12位ぐらいまで落ちてしまいました。しかし目の前で何台かのライダーが転倒したりで、結果9位でギリギリ入賞することができました。

いつもかわいがってくれる(え!)皆さんありがとうございました(いや、どういたしまして)。
でも、なんかスタート失敗したり自分の走り自体のスピードの足りなさを感じたり、ちょっとくやしいレースでした。

もっと早くなって「いけてるライダー」になりてぇー(と叫ぶボリーでした)。
(カッコ)内訳者注。

2001年9月9日(MCFAJ第9戦富士スピードウェイ)
(朝一でスペアタイヤに交換するボリー)
 今回は(も)MCFAJの第9戦に出場しました。
場所は富士スピードウェイで行われました。クラスはJ125で入賞は8位まででした。

レースの前日、疲れていた私は「明日行くのやめようかな?」なんて弱気になりながら仕度を済ませ眠りに付きました。(夏の疲れが出てきたか?)
レース当日朝、目覚めた私はこのまま眠りつづけるか、睡魔との15分間の格闘の末ようやく目覚めを勝ち取り(笑)家を出発しました。
何度かとてつもない眠気に襲われながらも(危ないな〜)ようやくレース場に到着した私は車検を済ませバイクを整備し(スペアに交換)練習走行に臨みました。
練習走行でははっきり言って手ごたえは全く感じず(アララ)、「良い成績は出なさそうだな」と思いつつ(しかし)かなり楽しく走ることが出来(?)、「今日は何か楽しいな」とあまり順位の事は気にしないでなぜかテンションが上がっている私でした。(良くわかんない?)
そして決勝!クジを引いた私が手にしたグリッド順はなんとビリ!悲し〜。しかし、結構良いグリッドが空いていました。ラッキー!

そして5秒前のボードが出てゲートオープン!(ゲートオープンって競馬だよね)絶妙なタイミングでクラッチミート(自画自賛)、しかし何故かエンジンはモモモモッといい、バイクが進まない事にちょっとあせりました。しかし、10番手ぐらいでスタートを切る事が出来ました。
出だしでのあせりと熱くなりすぎで、荒れてるラインばかり走っていた私は何台かのライダーにパスされ、私をパスした一人のライダーの後ろを走っていると、なんと走りやすそうなラインを走っているじゃあ〜りませんか。ラインがチョットだけ分かった私はレース終盤スパートをかけました。そしてさっき抜かれたライダーを何台かパスすることが出来ゴール!結果は10位でした。
今回も入賞する事が出来ずチョット残念。

「もっと力を出すことができたんじゃないの〜」と自分に話し掛けながら帰路に着く私でした。
(カッコ)内訳者注。

2001年7月22日(MCFAJ第8戦しどき)
(レース当日、朝食中のボリー。ヘンな顔に写ってますが実際はもっといい男です)
 今回は(も、です)MC(MCFAJ)の第8戦に出場しました。クラスはJ(ジュニア)125です。

今回はレース前日から会場に乗り込みました。(久々の土曜日休み)

レース前日、早速練習を始めた私は久々のでかいテーブルトップや2連たちにかなりビビリまくりでした。何とかテーブルトップはクリアーしたものの、やっぱり2連は怖え〜。(実は出来立てのジャンプでエッジが立ってる危ないジャンプなのでした)
救急車も何回も来てたし、月曜日に仕事にいけなくなったらシャレにならないし、社会人だから(?)やめようという事にしといてその日の練習走行を終了しました。

レース当日、6時頃暑さで目覚めた私は、「もう少し寝たかったな〜」と思いつつ朝食を食べました。
そんな事をしていたらあっという間に練習走行の時間がきました。
練習走行では、かなりコースコンディションは良くかなり楽しく走れました。(ジャンプのエッジが削ってありました)でも、やっぱり暑い!
練習走行終了後の具合はかなり悪くダルダルになってしまいました。
やっぱり夏のモトクロスはかなりきついっス。(う〜ん。わかるっス)

そして決勝!
まず(スターティング)ゲートに入りました。そしたら「あぁ・・もっとよく見てから入ればよかった!」ゲートの中の轍(わだち)に石がういてるじゃあーりませんか。(原文どうり)ん〜、滑るかな?なんて思ってたらスタート5秒前!待っている時にエンジンの回転がいつもより上がってしまい、あ!っと思ったらゲートオープン!(って、キミは馬か?)スタートでウィリーしてしまい大失敗!あぁ、今回もスタート決めるはずだったのに〜(前回はスタート大成功でした)、なんて思いながら混戦の中を走りました。

とりあえずかなり後方からのスタートになってしまい(ほとんどビリ)、わざわざ遠くから応援に来てくれた人たちに申し訳ないなぁと思ったのですが、頑張るしかないと思い(そうそう)、暑いけどレースだし(?)頑張りました。
途中、頑張りすぎて林に突っ込みそうになったりしたものの(笑)、無事チェッカーを受ける事が出来ました。(が)結局20台中12位という結果に終わってしまいました。
せっかく遠くからみんなが応援に来てくれたのに、もっと良い結果を出したかったなぁとレース終了後しみじみ思い、今回のレースは終了しました。

ん〜!かなりくやしぃ〜!!(でも笑顔で) おしまい。
(カッコ)内訳者注。

2001年7月1日(MCFAJ第7戦富士スピードウェイ)
(スタート前、サインボードだけじゃなくパラソルまで差してくれる出口選手)
 今回は(も、でしょ)MCFAJの第7戦に出場しました。
クラスは相変わらずJ125で、場所は富士スピードウェイでした。
レース前日仕事を終えレース準備を終えると、まだ10時ぐらいなのに猛烈な眠気に襲われた私はすぐさまバク睡しました。グッスリ。
レース当日、家を出発し5分ぐらい車を走らせるとサングラスを忘れた事に気づきました。今日一日を快適に過ごす為の大切なアイテム。(笑い)すぐさま家に戻り再度出発。また5分ぐらい走ると今度は凍らせておいたジュースを忘れた事に気づきまた戻り、また再出発。
結局予定より30分遅れて家を出ました。
俺って緊張感ない?と、ちょっと自分に疑問。

さて、会場に着き車検を済ませまずは練習走行が始まりました。
やはり富士は苦手な私。結構一生懸命走っても何台かのライダーにパスされ、「やっぱ、こんなもんか」と嘆き、「レースも練習だよ」と自分に言い聞かせ練習走行を終了しました。

そして決勝!参加台数は24台、入賞は7位までで行われました。
ゲートが倒れスタート!うまいこと飛び出した私は1コーナーをなんと3位で通過!(自分で驚いてちゃいけない)
あぁ、スタート前サインボードで後ろからあおいでもらったおかげかなと思い走行。(やさしい出口選手があおいでくれました)
富士のコースは転倒しかねないギャップがたくさん出来るので1周目はまず焦らずに走りました。そんななめた走りをしていたら1周終わる頃には4位に落ちてしまいました。
その後一生懸命走ったのですが力不足のせいかじりじりと順位を落としていってしまいました。
レース中盤自分に負けそうになりタレそうになるのも何とかこらえますが、6位まで落ちてしまいました。レースって難しい。グスン・・・(なんて言ってる場合じゃない!)
ラスト1周のサインが出た時、さらに悲しい事に(笑)ピッタリ後ろにいた二人にも抜かれ8位になってしまいました。
しかし、ピットサインで「底力」という文字を見てがんばりました。記憶はあいまいなんだけども入賞ギリギリの7位でゴール!うれぴー!(って、キミいくつ)
応援してくれたみなさん、いつも面倒をみてくれてるみなさん、ありがとうございました。(どういたしまして)やっと入賞できました。(よかったよかった!)
これからも、もっといい成績が出せるようがんばります。よろしくおねがいします。ありがとうございました。(これからもがんばろうね!)
(カッコ)内訳者注。

2001年6月10日(MCFAJ第6戦HARP)
(朝一で眠そうなボリー)
 今回は(も、ですね)MCFAJの第6戦の桶川(HARP)に出場しました。

今回レース当日、目覚ましで目覚めた私は2度寝をしてしまいました。ごめんなさい。あせって起き上がった私は速攻で着替え家をあわてて出ました。現場にはなんとか間に合いました。なんだか最近少し年を取ったのか(27歳になりました)、一息ついてからでないと動く気にならない私はとりあえずパンをかじりコーヒーを飲み一息ついてから車検をすませました。

そして練習走行!フィニッシュジャンプ手前の5連を使わないのを知り(迂回路を使いました)、命が長くなったような気になり走行!(あのジャンプそんなにヤだったの?) なんだか体に切れがないけど朝だからかなっと思いつつ無難に練習走行を終えました。

そして決勝!なぜか今回、実はすごい気合の入っていた私は(あれ!いつもは?)ゲートに入るやいなやスタートに集中し始めました。(だから、いつもは?)
そしてスタート!グッドなタイミングで出た私は1コーナーの侵入で前に5,6台しかいなかったのですが、前に明らかに転びそうな角度でバンクしながら割り込んだライダーが案の定私の前で転倒!私はそのまま倒れたバイクにつっこんでしまいました。
後から思えば少し他のバイクに接触しても、割り込んできたあのライダーのイン側に切れこんどくべきだったと思うのですが、怪我をしなかったので、なにはともあれ良かったと自分に言い聞かせている今日このごろです。(なんのこっちゃ)
そしてその後、悲しい事にビリから2番目で再スタートした私はとりあえず前の集団の後ろに付け、ちょっとずつ何とか他のライダーをパスする事に成功したのですが、4週目に腕あがりをし始め、自分に何度か負けタレそうになったのですが、今回はなぜかかなり気合の入っていた私はなんとか持ちこたえ無事ゴールすることができました。
結局29台中17位と言う結果に終わってしまいました。

なんだか今回はとてもくやしくて(あれ?いつもは?)1日たった今でも思い出すと胃がむかつきます。(このレポートは昨日(11日)の夜に届きました)
胃がむかついたり、なんだか最近おやじだなぁと思う今日この頃です。オワリ。(君もそろそろおっちゃんの仲間入り?)

(カッコ内)訳者注。
2001年5月20日(MCFAJ第5戦MX408
(レースから帰って来てお店(ボンバー)でくつろぐボリー。今回は現場写真無し)
 今回はMCの第5戦に出場しました。場所はウエストウッドのMX408で相変わらずクラスはジュニア
125です。
レース前日リラックスしまくっている私は、「又朝早いのかぁ」などと思いつつレース当日の朝を
迎えました。
緊張感の無い私はレース当日にもかかわらず『やべぇ仕事だ!寝坊した!』と勘違いして目覚めま
した。
 そして会場に到着、先週練習に着た時は最終コーナーの先にあるバカでかい2連を飛べなかった ので今日はチャレンジしようと意気込んでコースを見ると2連の手前にコーナが増えていて私なんか ではとても飛べないようになっていました。それを見てなぜかほっとし(?)受け付け車検をすませ 練習走行が始まりました。フープスが先週練習に着た時は飛べたのにうまく飛べなくなっていて 『あれれー』と思っていると練習走行は終わっちゃいました。

 そして決勝! とりあえずフープスは絶対とんでスタートもうまくやるぞと意気込んで決勝にのぞみました。
そして決勝がスタート! いいスタートがイメージどうりきれて1コーナーを6番手でぬけその後のフープスも
うまく飛べることができまずまずの出だしでした。

 しかしひさびさにいいスタートがきれて興奮した私は腕がガチガチに『あぁリラックスしなきゃ』と思いながらレースは続行。 なんとストレートに出る2連で前を走っていたライダーが前転して転倒!!かなり痛そうでした。(しばらく起きてこなかった)それを見た私は『あぁあれやっぱりフロントがぎりぎり届くけどさっきふられたし、飛ぶとスピード乗るけど10位ぐらいになっちゃったし、あぶないからやめよぉ』と思い度胸のない私はレースより明日健康な体で仕事に行こうと自分に言い聞かせました。(ハッハッハ)

 そんなことをしていると最終ラップ最終コーナーで一人ぬかれて『くやしーウキー!』そしてチェッカーを受けました。その後リザルトを見たらなんと8位!ていうことはずっと7位だったの?(そういうことですね)「2連飛んでもっと行けば良かったぁ」とちょっぴり後悔しました。(今回のポイントは6位まででした!)でも楽しかった。
  (カッコ内)訳者注。


2001年4月29日(MCFAJ第4戦しどき)
(スタートで浴びた泥でFゼッケンが見えない。もうちょっと前に座ったほうがいいかな?)
 今回は、MCFAJの第4戦の「しどき」に出場しました。
クラスはジュニア125です。(毎回言わなくても分かってます。訳者注)

今回の会場は自宅からとても遠く、(福島県です。訳者注)前日の仕事がとてもきつかったので、あまり気合の入っていない私は『行くのだるいなぁ』と思いつつ自宅を出発しました。

 まず会場に着き、バイクを超お気に入り愛車プロシードから降ろすと、眠さにやられていた私は一眠り。(いつもです。訳者注)
そんなこんなやっていると練習走行。エキスパートの人たちと混走でした。エキスパートの人たちはやっぱすごい!
走っていて『うぉぉかっこいい』と思う瞬間に何度も出会いながら、練習走行を終えました。

 そして決勝!(今回は予選が有りませんでした。訳者注)スターティングゲートが下りてスタート!
反応が少し遅れてスタートした私は水溜りの泥を浴び、(レース前大量の散水をしました。訳者注)前が全然見えなくなり、捨てレンズを捨てている間にさらに順位を落とし、後方からのスタートになってしまいました。(最近スタートヘタになった?訳者注)
 もっとスタート練習をしなきゃと思いつつ走行、そして自分とほとんど同じペースのライダーの後ろにずっと着いて走っていると、なぜかちょっとずつだけ順位を上げることが出来ているのに私は気づき『あれ?結構いいかも!』なんて思いつつ、もう少しペースを上げなきゃと思い、レースの後半やっとの思いでずっと前を走っていたライダーをパスすることが出来、結局25台中12位という結果に終わりました。(文章に切れ目が無いからつっこみが入れられなかった!訳者注)

 今回のレースはなぜか、いつもみたいにタレル事も無く、自分なりに結構楽しいレースでした。(まぁ、それが一番。訳者注)

 でもやっぱりポイントが欲しいー!!(今回のレースは8位までがポイントでした。残念!訳者注)

2001年4月8日(MCFAJ第3戦富士スピードウェイ)
★決勝スタート直後の1コーナーで★
 近くに寄るとヤケドをするぐらい熱い走りをするぜ、と言っていたU・ボリーですが。さてさて。
 今回はMC(MCFAJの事。訳者注)の第3戦に出場しました。場所は富士スピードウェイ、クラスはジュニア125です。
ボリーは富士のコースが大変苦手なので、とにかく楽しむという目標をもって参戦しました。
本当は心のなかではポイントが取れたらいいなーなんて下心をもちながら。

 当日、とりあえず練習走行が始まりました。練習走行では、この前のような手に力が全然入らないということもありませんでした。
練習走行を終え、やっぱりサンドは難しいとボリー自身、大変身にしみました。

そして決勝!バイクが一斉にスタートしました。

 ボリーはスタート10位と好位置につけました。(好位置?訳者注)
砂煙で前が見えない中、ボリーは必死で前についていったのですが、えぐれて崖のようになっているギャップの餌食になり、バイクが跳ねフロントタイヤは前を向いているのにリヤタイヤだけが右を向き、なにがなんだかわからない状態の中、(ほんとになにがなんだか分からない、訳者注)何とか体制を立て直し再スタート!(転んでたの?訳者注)
今度はまた違うギャップで振られ、リヤタイヤが右に左に乱れ打ちで(なんのこっちゃ、訳者注)そんなことを5回6回繰り返し、やっとラインを少し見なきゃと頭の悪いボリーは気付きました。
 しかしラインを変え、バウンドするほど振られることは無くなったものの、足がバイクから離れたりコースの外に飛び出しそうになったり、あたふたしまくっているうちにレースは終了。
 結局、抜かれまくり19位という結果に終わってしまいました。

 レース終了後、椅子に座ると急に疲れがどっと出て、力石状態(真っ白になっちまった)(原文どうり、訳者注)になるボリーでした。
今回のレースでボリーは、もっと頭を使わなければいけないと反省しました。また、サンドももっと走ってみたいと、つくづく思いました。
 おしまい。(あれ?熱い走りは?訳者注)


2001年3月18日(MCFAJ第2戦オフロードビレッジ)
★スタート前の緊張感など全く無いボリー(笑)★
 今回、私ボリーこと内堀竜城は、12月に原付で事故ってモトクロスおあずけ状態からの、復帰一発目のレースにMC(MCFAJのことね、訳者注)の第2戦に出場しました。
クラスはジュニア125で、場所はウエストポイントのオフロードビレッジで家も近いから行くのが楽だ!と思いつつ腕もないくせに怪我が治ってからろくに練習もしないまま当日を迎えました。
レース当日の練習走行で、なぜか手が始めからパンパンになっているのに、やっと頭の悪いボリーは気が付きました。
2日前にあせって練習に行き、走りすぎたせいなのか、前の日に仕事でエアコンを52台(!訳者注)も運んだせいなのか、神様からの天罰なのか、頭の悪いボリーには分かりませんが、もうボリーの手は筋肉壊れまくりという状態になっていました。
決勝まで時間があったのですが、ただならぬ筋肉痛だったのでこれはボリーでもヤバイと感じていると、決勝!いきなりスタートでニュートラルにギヤが入りバイクがウィィン!(なんのこっちゃ?訳者注)スタート大失敗!その後2コーナーで転んでいるバイクに引っ掛かり転倒!!気持ちを切り替えて全力で走ろうと決めたものの、やはり体は正直です。
ボリーの手は『俺はもう働かないよ』と、ストライキを始め、ブレーキング時、人差し指がアクセルを握ったまま出てこず突っ込みすぎたり、ハンドルは抑えられないはしているうちにレースは終了!出走27台中15位という結果に終わりました。
ボリー自身、手のストライキの為熱くなりきれないまま終わってしまいました。レースって難しい!
次の第3戦は熱く楽しいレースをしたいと思います。(ぜひそうしてね、訳者注)さようなら〜